青山ミチさん死去 享年67歳
「ミッチー音頭」などのヒット曲で知られる歌手の青山ミチ(あおやま・みち、本名・八木フサ子=やぎ・ふさこ)さんが1月、急性肺炎で亡くなっていたことが7日、分かった。
67歳だった。告別式は親族で済ませた。喪主は長男、加藤大輔さん。
1960年代、「涙の太陽」「叱らないで」などのヒット曲を生み、パンチのある歌声で人気だった。「ミッチー音頭」は他の歌手にもカバーされた。覚醒剤取締法違反で有罪判決を受けるなどし、近年は芸能活動から遠ざかっていた。
出典:歌手の青山ミチさんが死去…「ミッチー音頭」
青山ミチさんの波乱な人生
ハーフとして生まれ
神奈川県横浜市出身。
父親がアメリカ人(在日米軍の黒人兵)で母親が日本人(八木キミ子)のハーフ。
出典:Wikipedia
神奈川県横浜市出身という事で、父親は米軍基地に務める黒人兵です。あのパワフルでソウルフルな歌声は父親のDNAのお陰ですかね。
当時は今とは違い、まだまだハーフの人に対する偏見と風当たりが強かった時代、彼女もきっと色々とあったはず。
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歌手として大成功
1961年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコード(日本グラモフォン、現・ユニバーサル ミュージック)の目にとまり、翌1962年「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。
パワフルでパンチのある歌声で、ミッチーの愛称で親しまれ、1963年には「ミッチー音頭」が、1965年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなる。
出典:Wikipedia
米兵の父親とは生き別れていたのですね。音楽業界で成功した今の自分の姿を見せたかったのでしょう。
デビューから僅か数年でヒットソングを出し、歌手としてのキャリアを着実に積み、華やかな芸能界で大活躍していた彼女。
全てが順風満帆に見えた青山ミチさんの歌手生活に、その後暗い影が落ちる事に。
覚せい剤使用で逮捕
「風吹く丘で」の発売を控えた1966年11月に覚せい剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズの歌唱で大ヒットとなる)。
1974年3月に万引きで現行犯逮捕、1978年10月に覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。
その後、1999年にも3度目の覚せい剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。
出典:Wikipedia
1966年に初めて覚せい剤で逮捕されてから、3度目の逮捕となる1999年までの薬に翻弄された33年間を思うと、いたたまれない気持ちになります。
薬物依存は本当に恐ろしい。
近年では生活保護も受給していたそう。
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生活保護を受給
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがテレビ番組「あの人は今!?」の調査でわかった。
また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、2009年に妹のミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた。
出典:Wikipedia
華やかな芸能の世界で大成功をしていた青山ミチさんが、晩年は生活保護を受給し、ほそぼぞと生活をしているとは想像していませんでした。
ご冥福をお祈りいたします。
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