TOKIOの人気テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画で作られた福島にあるDASH村の現在が話題になっています!!
DASH村 現在の状況が壊滅的!?
震災の影響もありDASH村の存在ってすっかり忘れ去られていますよね。。。。
すっかり荒れ果てた土地になっていると思いきや現在は土地を提供してくれた老父婦が細々と手入れをしているようです↓
【DASH村の叫び 地域消滅する】https://t.co/Grwpzf1RR3
福島第1原発事故から間もなく8年、「ザ!鉄腕!DASH!!」から生まれたDASH村も福島県浪江町の帰還困難区域にある。土地を提供した夫妻は地域消滅を訴え、町に要望書を出した。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2019年3月4日
🔳DASH村は今 帰還困難区域のまま
「田んぼはヤナギの森になった」「忘れられてしまうんだろうな」
詳しくは今朝の日刊スポーツで pic.twitter.com/qsRtVEVDfX— 埼玉高校野球FANCLUB (@koukouyakyuFC) 2019年3月4日
震災後、TOKIOでは山口メンバーの脱退などもありDASH村が注目を浴びる機会も激減しましたしね。。。。さすがにこのままではせっかく作ったDASH村が崩壊してしまうのも時間の問題では!?
コチラがDASH村の現在に関する記事詳細です↓
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DASH村 現在に関する記事
<さよなら平成 激動の時代を振り返る(10)>
平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災、福島第1原発事故から間もなく8年。復興は進んでいるが、福島には今なお名古屋市とほぼ同じ面積、337平方キロもの帰還困難区域が広がる。人気テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」から生まれたDASH村も浪江町の帰還困難区域にある。土地を提供した三瓶宝次さん(82)、漬物名人で「お母さん」として登場した孝子さん(82)夫妻を訪ねた。
【写真】DASH村への道。正面の門の先に村がある(三瓶さん撮影)
◇ ◇ ◇
福島市で避難生活を送る三瓶さん夫妻は2カ月に1度、浪江町津島の国道114号沿いにある自宅と、そこから2キロほど離れたDASH村を見回りに行く。114号は17年9月、通行規制が解除された。「除染してないし、線量も高いからなかなか行けないんですよ。夏は防護服着ると、暑くていられないから、春や秋の涼しいときに半日ぐらい」と孝子さん。
朽ちたため2年前に作り直したDASH村の扉を開け、村を見て回り、道路脇の草を刈る。役場も水車小屋もヤギ小屋もそのままだが、「イノシシに入られて中はガチャガチャ。ベニヤ板張って、入られないようにしているんだけれども」(宝次さん)。田んぼにはヤナギが生え、切ることもできないうちに「ヤナギの森になった」(孝子さん)という。
8年前までここは「山あり沢あり田んぼあり畑あり。フキノトウでもワラビでもマツタケでもシメジでも何でも採れて、自給自足できるぐらい豊富な恵みがある場所だった」(宝次さん)。しかし、村の南東約30キロにある福島第1原発の事故で津島の450戸、1459人の住民は四散した。
津島は戦後間もなく、食糧増産と引き揚げ者対策で、福島一の規模で国有林入植が行われた。血の汗を流すように開拓した土地が300町歩(300ヘクタール)ある。DASH村も宝次さんの親戚が入植し、開拓した土地だ。
宝次さんは「開拓団に入って満州に渡って、終戦後、ソ連の捕虜になったり、命からがら逃げてきて津島の開拓に入った人がいるんです。それが今度は原発で追われて。国の政策の失敗を2度体験させられる目に遭っているんです」と話す。
17年12月、津島支所を中心とした国道沿いの約4キロ、137ヘクタールが特定復興再生拠点に指定された。23年3月の避難指示解除を目指し、除染とインフラ整備が進められている。しかし、DASH村など国道から離れた地域は外れた。宝次さんは「一部に復興拠点ができても津島全体を再生するのは不可能。範囲を拡大して10年以内に津島全体の除染を終えるようにしないと、地域が消滅してしまう」と訴え、町に要望書を出した。
DASH村が誕生した2000年。中山間地整備事業で村の近くを流れる川沿いに200本の桜が植えられた。立派な桜並木になったが、皆で花見をすることもできない。「みんな分散して生活圏が破壊されました。東京の人たちの感覚と被災地の人の思いは時間がたてばたつほど、かけ離れていきます。忘れられてしまうんだろうな」。宝次さんの8年目の思いだった。【中嶋文明】
◆DASH村 日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」(日曜午後7時~)のコーナーとして00年6月にスタートした。TOKIOのメンバーが故三瓶明雄さん、三瓶金光さん、三瓶孝子さんら地元の人に教わりながら、かやぶき屋根の廃屋を再生し、米、野菜を作り、シイタケを栽培。ヤギ、ヒツジなどを飼育した。4ヘクタールの用地には炭焼きがまや水車小屋もあった。03年1月、火災が起き、地元紙に報じられるハプニングがあったが、所在は非公表で、原発事故後の11年4月、浪江町津島にあることが初めて発表された。
◆浪江町 福島第1原発のある双葉町に隣接し、大震災当時の人口は2万1500人。大震災では津波などで182人が死亡した。町は大震災翌日の3月12日、役場機能を津島支所に移し、町民約8000人も津島地区に避難したが、同日午後、1号機が爆発。国や県、東電から全く連絡がない中、町民は15日まで避難を続けた。17年3月31日、町の8割を占める帰還困難区域を除き、避難指示が解除され、役場も二本松市から町に戻ったが、2月末現在、居住者は599世帯、910人(約4%)にとどまっている。
◆帰還困難区域 12年3月の時点で年間放射線量が50ミリシーベルトを超えていた地域。福島第1原発がある大熊町、双葉町のほか、浪江町、南相馬市、葛尾村、飯舘村、富岡町の7市町村にまたがり、総面積は337平方キロ。浪江町は180平方キロで53・4%を占める。原則立ち入り禁止で、境界にはバリケードが設けられている。対象住民は2万4000人。一時立ち入りには市町村長が発行する通行証が必要で、宿泊はできない。国は1市町村に1カ所、特定復興拠点を設け、除染とインフラ整備を進めている。浪江町は面積が広いことから3カ所指定された。
引用元:DASH村の今「思いかけ離れていく」提供者の叫び
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DASH村 現在に対してのネットの反応
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あ、「鉄腕DASH」ってまだやってたの?
放射能という津波もまた残酷です
助けを求めると非難されてしまうし
自分達だけでどうにかできることでもない3月、いつのまにかイヤな月になりました
原発事故がそれを早めて手立てをも奪ったのは事実。
町を作るのも人間。
一瞬でぶっ壊すのも人間。
あんなアットホームな場所は
なかなか作れないし。
しかし、除染がしっかりできれば帰れる可能性はあるので、こうした支援を継続的に我々が訴え続けていくしかないのか。
やっぱり、震災当時の政権の問題もあるから、安倍政権では出来るだけ進めて欲しい。一番は、震災担当大臣が財務省から予算をぶんどれる国会議員でないとな。
地元の人も出て行った先で根付いた人間関係も、生活もあるんだし…
でも放送は難しいだろうね?
色々と忖度ありそうだし
防護服を着て村中を探索しましたよね…
もう見れないのかな。
ダッシュ村も山口元メンバーも…
なんか淋しい。
お世話になったのだからTV局側も忘れないでほしい。
原発、放射線関係はスルーしてんの?
偽善番組屋日テレてっててー
村落消滅、市町村消滅は自然な事であり、ことさらに恐ろしい悲劇として煽るマスコミが多過ぎ。
あの場所で村の復活ができる状況に戻れたらいいですね。
今さら言われても…
線量測って ひまわり植えて
元のダッシュ村にするって
まったく ダッシュ村にふれもしない
視聴率って怖いね