水木一郎 アニソン経緯の衝撃的な真相とは!?若い頃は違った?

水木一郎 アニソン経緯の衝撃的な真相とは!?若い頃は違った?

水木一郎 アニソン経緯が話題になっています。

 

今や「アニソンの帝王」として確固たる地位を確立している水木一郎さんですが、アニソン歌手になるまでの経緯を語り注目を集めています!!

 

コチラが水木一郎さんのアニソン経緯に関する記事詳細です↓

スポンサーリンク


水木一郎 アニソン経緯の詳細

アニメ・ヒーローソングの先駆者で、国内外から「ANIKI/アニキ」の愛称で親しまれる水木一郎(70)がデビュー50周年を迎えた。歌謡曲のホープから、「アニソンの帝王」へと変貌を遂げた経緯を訊いた。

「ヒーローソングを歌っていると、景色が変わらないんです。僕のお客さんは親子三世代で来る。つねに新しい子供たちが加わるから、自分も、声も老けられない。

アニソンデビューした当時、後楽園ゆうえんちで『仮面ライダー』を歌ったときから変わらないんです」

そんな水木の実家には、幼いころから音楽があった。

「僕の生まれる前に親父がレコード屋をやっていたおかげで、家にはおふくろの好きなスタンダード・ジャズがいつも流れていた。

フランク・シナトラなどを子守唄代わりに聴いて育って、5歳のころには『歌手になる』って宣言していたんです(笑)。庭の木に登っては、聞きかじりのでたらめな英語で歌っていました」

16歳のときに、当時歌手の登竜門といわれたジャズ喫茶「ラ・セーヌ」のオーディションでグランプリを獲得。数々のジャズ喫茶のステージで経験を積んだあと、作曲家・ 和田香苗氏に師事し、1968年に20歳でプロデビューを果たす。

今でこそ個性の塊のような水木だが、当時は歌手として無個性だったという。

「デビューしてまもなく、札幌で新人歌手のサイン会があった。錦野旦くんや、野村将希くんもいたんですが、僕のところだけ誰も並ばない。

並んでくれた人に『あなたには個性がない』って言われたのがショックでしたね……」

歌謡曲歌手として12曲をレコーディングしたが、ブレイクの兆しが見えない。

しかし、1971年に転機が訪れる。アニソン専門の男性歌手を探していたディレクターに「ジャケットに顔は出ないけどいいか?」と依頼されたのが、自身初のアニソン、『原始少年リュウ』の主題歌だった。

「当時のアニソン界は、なり手がいない “空き家” 状態。僕の前は堀江美都子ぐらいで、アニソン専門の男性歌手はいなかった。歌謡曲の歌手たちは、『漫画の歌手』のレッテルを恐れて、みんなアニソンを敬遠していたんです。

でも、もともと映画主題歌が好きだった僕には、『アニメであろうと、主題歌には変わりない』と思えたんですね」

『原始少年リュウ』以降、『超人バロム・1』『変身忍者 嵐』など次々と主題歌のレコーディングが舞い込み、次第に水木は第一人者の地位を確立していく。

しかし、「アニソン歌手・水木一郎」の名が世に知れ渡るには時間がかかった。

「歌謡曲でデビューしたときは、歌番組にも出たし、大きなステージにも立たせてもらった。

ところが、アニソン歌手になった当初は、みかん箱の上で拡声器を持って歌わされたりすることもしばしば。どんなにレコードが売れても、僕より売り上げの少ない歌謡曲歌手のほうがちやほやされる。同じ歌手としては悔しかった。

それでも誇りを持って歌い続けることができたのは、観に来てくれた子供たちの目がいつも輝いていたからです」

いつしか持ち歌は1000曲を超え、1999年には前人未到の「24時間1000曲ライブ」の偉業を達成。いまや水木の知名度は国境を超え、海外のイベントに呼ばれることも多い。

「世界中どこもすごいけど、初めて行った香港で、日本語で大合唱になる光景を目のあたりにしたときは衝撃を受けました。

たまたま入った飲食店で、お茶を注ぎに来た男性店員が、僕を見て『仮面ライダー!』って広東語で叫んだのにも驚いたね」

「アニソンの帝王」となった水木は、いまや「ゼーット!」の決めゼリフとつねになびいている赤いマフラーで、タレントとしても引っ張りだこだ。

「バライティに出始めたころは、『超人バロム・1』の『ブロロロロー』や『ズババババーン』を多用していました。求められるままに、ブロロロローって返したりして。

でも、これだとまともに会話にならない(笑)。そのうち語尾が『ゼーット!』になるようになって、これは使えるぞ、と気がつきましたね」

ちなみに、水木は「ゼーット!」を“飛ばす” と表現する。水木は叫ぶ前に、宙にZの字を描き、指を突き出すと同時に、画面の向こうの視聴者へと飛ばしているという。

「みんなが幸せになるようにというメッセージをこめているんです。『Z』を描きながら、声も空気を伝わっていくように飛ばしています」

2018年で歌手業50周年、70歳の水木に今後の野望を聞いた。

「大好きなトニー・ベネットというアメリカの歌手が、2018年92歳で全曲新録のアルバムを出したんです。彼に追いつけ追い越せで、最高齢現役歌手を目指したいですね。

あと、宇宙でライブが夢なんです。宇宙船で『キャプテンハーロック』なんて最高でしょ。アニソンには言葉の壁を越えてハートで通じる何かがある。きっと、宇宙人にも届くと思うんですよ」

みずきいちろう
1948年1月7日生まれ 東京都出身 1968年に『君にささげる僕の歌』でレコードデビュー。『マジンガーZ』をはじめ、アニソンの持ち歌は1200曲を超える

※デビュー曲や歌謡曲時代の未発表曲を収録したアルバム『JUST MY LIFE』が発売中
※2019年1月5日、6日に『水木一郎 バースデー ライブ2019』が開催決定。詳細は公式サイトにて

(週刊FLASH 2018年11月13日号)

引用元:アニソンの帝王・水木一郎「ゼーット」を語尾につけた理由

アニソンの帝王 水木一郎の関連動画

 

今回の水木一郎さんのアニソン経緯についてネットの反応は以下の様なものでした↓

スポンサーリンク


水木一郎 アニソン経緯についてネットの反応

今は主題歌も普通の歌謡曲だし、アニソンっていうジャンルで確立されてたり、アイドル声優が歌うから、半端なJポップより有利。
でもそれも、水木さんとか先駆者あってだよね。
昔はアニソン歌手=売れない歌手扱いだし、曲にモロに必殺技やキャラ名が入ってて、多分苦労したと思う。
今はちゃんと評価されて、はっちゃけてマフラー着けてゼーットっていうキャラも出来て本当に良かったと思う。
しかもいい歳なのに、相変わらずいい声だし。

 

正確を期すると、水木さんはアニメソングの人と言うよりも
70年代当時お子様だった私なんかには子供向け番組の歌の人
って感じだね
バロムワンだら仮面ライダーV3とかは特撮ヒーローだしね
もひとつ言うと、初代のガンダムが流行るまではアニメなんて
言葉は知らんかったw
その頃はテレビでやってるマンガだから「テレビマンガ」みたいに
呼んでたと思う

そういえば、バロムワンの歌の出だしに「超人!バロムワーン」
というガナリ入れているのって、最近亡くなられた田中信夫さん
だったよね・・・

 

水木さんと堀江さんとささきさんはアニソンじゃ無かったら国民栄誉賞を貰えた位に凄い存在だと思う

 

ZOZOの社長、月に水木アニキを連れて行ってハーロックを唄ってもらってくれ
それなら応援するわ

 

ミズキングは、好きです。
「ブロロロロー」「ズババババーン」ってなんだ?っていうくらい面白い歌詞なのに、カッコ良く良い声で歌う【水木一郎】っていう覚えやすい名前を最初に認識したのが、「バロムⅠ」。
歌は上手いし良い声で濃い目の顔、トークも面白くて、そのアニメを見ていた世代じゃない方も、アニメ好きならミズキングの「マジンガーZ」は知っている。
ハリガネマフラーで出て来た時には、あっぱれミズキングと思いましたね。
アニソンはアニメのイメージ重視のいでたちのかたが多いのに、しっかりミズキングは御自分のアニソンの世界を、バリバリで楽しませてくれる。
アニソンは楽しいと思わせてくれた先駆者ですね。
今は曲を聴いただけで燃えて来るようなアニソンが少なくなって、普通に売れるようなアニメと無関係な曲が多くて、良い曲とは思うけど、ピッタリって感じないで無理やり感がある時ありますね。
どっちも好きだけど

 

みかん箱に拡声器、はある程度売れた人でも経験していたりするみたいだけど、歌いたい・聴いてもらいたい気持ちでアニソンに飛び込み、長年プロ意識の塊で一生懸命なさってきたスタンスこそが自らを作り上げて来られた。
日本語という限られた言語にあっては、水木さんのようなアニソン歌手こそが、全世界的にたくさんの人に歌声が届けられていると言えるね。
これからも、変わらぬご活躍を。

 

空にそびえる黒鉄(鉄)の城、、、って歌い出しがイイです、なんかもうワクワクドキドキする様な気分から、スーパーロボット、魔神が~Z(ぜ〜っと)って、思わず右腕を高く上げたるなる様な臨場感に、とらわれませんかね、ウルトラマンもスーパーマンも、たった一人で戦い抜く、その圧倒的な力と強さは、材質以上の尊いものを描いた万人向けの分かり易い手段を用いたバイブルであり経典であり教科書、三種の神器は正にそれを持つ器量のものであるとする、全ての高等教育の根幹であるはず。

 

昔のアニメのエンディングテーマは、
何気に『泣かせる曲』が多い。

 

昔のアニソンは聴くとどのアニメかすぐに連想できるけど、今のは何も連想できない。

 

数十年前アニソン歌手になった方は、当時は認められなくて葛藤した方も多いと思う。昔のアニメ雑誌のインタビューで、某アニメ・特撮番組の歌手が「当時特撮の主題歌なんてと思ったけど……」と答えた記事が載ったら抗議が来たらしく、翌月お詫び文が載ってったのを覚えている。(今なら炎上騒ぎのような。)でもその方も今では昔からのファンも多くて、ずっと人気を保っている。成功するきっかけはいろいろあるし、今はファンも後押し出来る手段がいろいろありますからファンとしても幸せだなと思う。

 

やっぱりマジンガーZを子供時代にリアルで観てたから友達と唄っていたし思い入れが強い。
あんなにカッコいい主題歌は初めてだったし自分ら子供達は大好きだった。
実際の歌う姿は歌のお兄さんとしてNHKで活躍するようになって初めて見た。
声で直ぐに分かったよ、童謡だろうがなんだろうが上手いしカッコいい、大好きだった。
交代の時は悲しかったなあ。
今は世界で一番有名な日本人と言われるほどに成功して本当にうれしい。
子門正人さんやヒデ夕樹さんの様に、あれだけ素晴らしい主題歌を歌っていたのに本当に残念ながら十分に報われないで消えてしまった歌手も多いからね。

 

数々の難曲をこなしている技量の高い歌手であることに
もっと目を向けねば。
宙明先生の燃えハワイアン名曲
「さすらいの星ジミー・オリオン」なんて
本当に難しい歌だ。
シャウトを讃えるなんて二の次だ。

 

マジンガーゼェ~ットのゼーットではなかったのか(笑)
子供の頃から親しんでいる歌声ですが当時はテレビに出る機会もなくどのような方が歌っているのか想像するしかありませんでした。
ある時・・私が高校生くらいの時だったか歌番組に出演されてメドレーで歌われたのですがその時の印象がすごくカッコよくて!
最後に「マジンガ〜ゼェ〜ット!!」でポーズ決めて締めた時は「これが水木一郎か!」と感動しました。
これからも大勢の人を励まし楽しませて下さい!

 

水木一郎さんのような方々のおかげで、日本が世界に誇るソフトコンテンツ産業の今がある。
当時の子供達のキラキラと輝く眼差しが、その活動に力を与えたのは間違いない。
利権で揉める今のゴタゴタした業界や、不勉強なまま税金を無駄にする国のソフトコンテンツ政策には、昔にあった大切な物が欠けているのではないか?
子供の頃に持っていた何かを忘れてしまったのではないか?
時には懐かしい作品を振り返り、あの頃の気持ちを思い出して欲しい。

 

水木さん、ささきいさおさん、堀江美都子さん、子門真人さん・・この時期のアニソン歌手って子供にはオーバースペックと言えるくらい歌、上手かったんだよな。
アニソンが堂々誇れるジャンルになった現在だが、逆に若手アーティストのの登竜門的存在になって、パワーや個性という点では昔に劣るかも知れない。

 

スポンサーリンク


Copyright© キニナルワンダ , 2024 All Rights Reserved.