野口健はハーフの帰国子女
アルピニストとして有名な野口健は、元外交官の日本人の父親と、エジプト人の母親を持つハーフとして、1973年に父親の赴任先・ボストンで生まれました。
小さい頃は、生まれたアメリカだけではなく、エジプトやイギリスなど、海外で多くを過ごします。
野口健は学生時代、不良だった
とある番組の収録。完全に高校時代に戻りました(^^;) あんなこともこんなことも…。 pic.twitter.com/hFhiFPLZoJ
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2017年6月6日
野口健がいうには、高校時代は落ちこぼれの不良だったようで、喧嘩が原因で停学となったこともあるそうです。
停学中に野口健は一人旅をしますが、その一人旅で冒険家・植村直己の著書に出会い衝撃を受けました。
このときの衝撃がきっかけで登山を始めました。
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野口健 不良から清掃活動する冒険家に変貌
文化シャッターさん主催の富士山清掃イベント。今年で6年目。過去5回で回収したゴミの総量は5・5トン。こういう活動は継続が最も大切です。一緒に続けてくださる皆さんには本当に感謝。暑い中、皆さん、本当にありがとうございました。 pic.twitter.com/pWok0jWgRp
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2017年6月3日
その後、AO入試で亜細亜大学へ入学し登山活動を本格化させます。
25歳のときチョモランマ登頂に成功し、七大陸の最高峰に登頂した当時の最年少記録を樹立しました。
野口健を有名にしたのは、登山の実績はもちろん、富士山やエベレストなどの清掃活動に対する貢献でしょう。
野口健が登るようなアルプスは、登山隊のごみが残っていて、遠くから眺めるには綺麗なものの、現地に行くと散在するごみの多さにがっかりしたことがきっかけで、清掃活動を始めました。
富士山も世界自然遺産に何度も登録を目指すものの、登録されなかったのは、ごみの多さが原因だと言われており、野口健は継続的に清掃活動を行っています。
野口健は登山家という肩書に良い印象を持っておらず、CMに出演するときに提案されたアルピニストを肩書として使うようになりました。
野口健は少女と結婚!?
野口健の私生活では、ネパールの無戸籍の少女と1995年に結婚したことで話題になったことがありますが、2年後に離婚しています。
その後、日本人と結婚し暮らしているようです。
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野口健 イモトの登頂に厳しい意見
日本テレビ系番組「世界の果てまでイッテQ!」で、イモトアキコがマッターホルン登頂を達成したときに、下山にヘリコプターを使ったことに対して、野口健はTwitterで厳しい意見をツイートしています。
「山登りというものは自力で下山するところまでが山登り」とツイートした野口健の言葉は、登山の厳しさを身を持って体験しているからこその発言ですね。
野口健とNPO法人・空援隊
2008年からは旧日本軍戦没者の遺骨調査や収集活動を行っているNPO法人・空援隊の活動に参加しています。
活動に参加するようになったのは、ヒマラヤ登山で遭難したときに死を覚悟して、もしここで死んだら遺骨を故郷に持って帰ってもらいたいと考えたことがきっかけのようです。
アルピニストとして活躍している野口健の活動が、これからどんな風に展開していくのか楽しみですね。
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