代表作は「東海道五十三次」と「名所江戸百景」
歌川広重とは、1797年の江戸時代後期に誕生した人物で浮世絵師だった方です。
本名は安藤重右衞門と言うそうです。
浮世絵師としてとても多くの作品を世に残しました。
代表的な作品には、「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などがあります。
東海道五十三次はとても有名で聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
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名前の由来は師匠から!?
歌川広重の父は安藤家の養子に入り結婚したそうで、 歌川広重の他に長女、次女、三女の兄妹がいたそうです。
幼い頃から絵心があったという歌川広重は、15歳の時に芸術家である歌川豊国に弟子入りを志願するが、定員オーバーで断られてしまったそうです。
しかし、歌川豊広に入門することができ、翌年には浮世絵師としてデビューを果たしたそうです。
この時、師匠である歌川豊広と自分の名前から1文字取り、歌川広重としたそうです。
後に代表作となる「東海道五十三次」が誕生したのは、1832年に歌川広重が東海道を上って絵を書き始めことがきっかけで、翌年に発表し次々と東海道五十三次を書き、これが秀作となりました。
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作品数の多さに驚く
浮世絵の他にも絵本や挿絵、狂歌本なども手がけており作品の数は2万点に及ぶとされています。
その作品たちは、日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカでも評価が高く、青色や藍色を使った作品が特に良いとされているそうです。
このことから、青色や藍色はヒロシゲブルーと呼ばれていたそうです。
当時の流行病で。。。
数々の作品を世に残した歌川広重ですが、61歳の時に当時流行していた疫病のコレラにかかってしまい62歳の若さでこの世を去りました。
東京にある禅宗東岳寺に墓があるそうです。
現代でも著名人として名が知られる歌川広重ですが、これからも残した歴史ある作品を大切にしていきたいですね!
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