マサ斎藤 死去前、最後に姿を見せた場所はココ!! 妻が語った壮絶な病気との戦い

マサ斎藤死去が話題になっています!!

 

日米マットでトップレスラーとして活躍したプロレス界のレジェンド、マサ斎藤さん(本名・斎藤昌典)が14日に死去した。

75歳だった。健介オフィスが16日、発表した。

引用元:マサ斎藤さんが死去 アントニオ猪木氏と巌流島で死闘

 

マサ斎藤さんは2000年にパーキンソン病が発症し、その後も復帰を目指しリハビリに励んでいたそうです。

 

復活の場所として、2020年東京五輪の聖火ランナーを目標にしていましたが、容体が急変し14日午前1時5分に死去されました。

 

長年、マサ斎藤さんを支え続けた倫子夫人が、以下の様なコメントをしています↓

 

「夫 マサ斎藤は長期にわたり、パーキンソン病と闘い続けてきました。17年にもわたる闘病生活は“Go For Broke!”(当たって砕けろ!)をモットーに掲げる彼にしても、想像を絶するほど辛く厳しいものでした。そんな中、引退後17年ぶり、74歳にして聖地である“リング”復活のチャンスが巡ってきました。更には、来年、再びカムバックのチャンスも出て来ました。その為にリハビリに意欲を燃やしていた矢先。容態急変。7月14日01時05分に永眠しました。穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かう様な、マサ斎藤らしい力強い旅立ちでした。現役時代並びに闘病生活中にお世話になりました皆様方に対し、生前に賜りましたご厚意に感謝し謹んでご通知申し上げます」

引用元:マサ斎藤氏、75歳で死去…00年にパーキンソン病発症し闘病

 

17年にもわたる闘病生活は“Go For Broke!”(当たって砕けろ!)をモットーに掲げる彼にしても、想像を絶するほど辛く厳しいものでした

 

っと言う一文から、マサ斎藤さんの闘病生活が夫婦にとっていかに壮絶なものだったのか感じ取れますね。

 

マサ斎藤さんが死去前、最後に公に姿を現した場所がココです↓

 

大阪市立城東区民センターで2017年4月7日に行われたプロレス興行。

 

愛弟子のマサ北宮選手を激励しにリングに上がったのが死去前、公に姿を現した最後となりました。

 

この興行を見に行かれた方は、ある意味とても貴重な思い出になったのではないのでしょうか?

 

マサ北宮選手↓

aaaaaask him!!!!

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我ながら気持ちわるいな。 #先端恐怖症 #noah_ghc

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ダンディズムの塊の様だったマサ斎藤さんのご冥福をお祈りいたします。

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ネットの反応

また1人昭和の名レスラーが逝ってしまった。
マサさんの武勇伝たくさんありましたね。ありがとうございました。

 

無口なマサさんの黒タイツ姿、胸板の厚さカッコ良くいつ見ても渋さがたまりませんでした。ご冥福をお祈りいたします。

 

猪木さんとの巌流島の対決は本当に死闘でした。80年代の新日本プロレスを盛り上げた功労者ですね。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

その昔プロレスを毎週楽しみに観てたのを思い出しました。ご冥福をお祈りします。

 

マサ斎藤が宿泊していたホテルの人が
彼はジェントルマンだと言っていた記憶が残っている。

 

ろくブルのマサさんを久々思い出した。
森田先生も悲しんでるだろうなぁ

 

昭和の名レスラーが次々にいなくなって寂しい。
御冥福をお祈り致します。

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